- フランクリン探検隊失踪事件ー空白の地帯
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19世紀、人類未到の地であった北西航路の探険に挑んだフランクリン探検隊が失踪した事件。
やがて明らかになった探検隊が辿った壮絶な末路はヨーロッパ中の人々に大きな衝撃を与えた。
19世紀、産業革命に代表される科学技術の発達は、人類がそれまで未開拓だった場所への到達を可能にした。しかし、依然として謎に包まれた地域も残されていた。
その中でもヨーロッパで高い関心を集めていたのが、北西航路と北極点だった。
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- フランクリン探検隊失踪事件ー様々な思惑
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北西航路と北極点、この2つの空白地帯に最も高い関心を寄せていたのは、産業革命を成し遂げ、当時科学技術の最先進国であったイギリスであった。
当時のヨーロッパで、海洋貿易の分野で優位な立場にあったのは、スペインとポルトガルだった。
この2国はヨーロッパを南下して、アフリカ大陸の南端喜望峰を回ってアジアへと至る航路を独占していた。
ここで、イギリスが北西航路の発見を成し遂げ、その航路を独占できれば、スペイン・ポルトガルを巻き返し、多大な利益を生む事ができると予想された。
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- フランクリン探検隊失踪事件ージョンフランクリン
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ジョン・フランクリンは1786年に織物商で財を成したフランクリン家の9番目の子供として産声を上げた。
フランクリン少年は、海軍将校として世界各地に赴いた経歴を持つ叔父の影響か、幼い頃から大海原を駆ける船の仕事に、大きなあこがれを抱いて成長した。特に彼があこがれたのが、叔父と同じく海軍士官の道であった。
父からは散々反対されたものの、決して意志を曲げようとしないフランクリン少年に対し、ついに父は根負けし、海軍士官の道を歩むことを認めるようになる。
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- 太陽寺院事件ーもう1つの教団事件
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カルトと呼ばれる狂信的な宗教団体による事件は、時代や場所を問わず多数存在しているが、そのなかで、近年、世界的にも大きな衝撃をもたらせた事件のひとつが、1994年に起きたオウム真理教による「地下鉄サリン事件」であった。
我が国で起きた事件でもあり、その衝撃は読者の多くの方々も身を持って体感したことであろう。
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- 太陽寺院事件ー1994年スイス
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1994年10月5日。スイスの西部に位置するフリブール州のシェリー村。牧草地と畑が織りなす、いかにもスイスの田舎らしいのどかな光景が広がるこの場所で、事件は幕を開けた。
その日の夜12時ごろ、静かな村に突如、爆発音が鳴り響いた。
この音を聞いた村に住む63歳の男性は、当初、若者達がパーティーでもやっていて、爆竹でも鳴らしているのだろうと思ったのだという。
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- 太陽寺院事件ー時期外れの喧噪
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シェリー村から100キロ程離れたヴァレ州のサルヴァン村、ここはスキー場を有するレジャースポットであるが、スキーシーズンはまだ到来しておらず、この時期の村は静かなものであった。
そんなサルヴァン村が時期外れの喧噪に包まれていた。
爆発音に続き、3つのスキー小屋が燃え上がり、村の中を何台もの消防車が駆け抜ける事態となっていたのだ。
火災があった3つの建物からは、やはり儀式用の僧衣をまとった計25人分の死体が発見された。
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- 太陽寺院事件ー3つ目の事件
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奇妙な集団死亡事件が同日に2件も発生したことで、6日のヨーロッパの報道は、この事件に関するニュースで一色に染められることになった。
さらに、世界各地でも事件の一報は報じられることになったのだが、そのことで驚くべき事実が明らかになった。同じ日に、カナダでも同様の事件が起きていたのだ。
その事件の状況はスイスで起きた事件よりもさらにむごたらしいものであった。
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- 太陽寺院事件ー封書
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報道機関がこの事件のニュースで奔走するなか、スイスの新聞社の元に犯行声明と思われる封書が届けられた。
その封書の中には、「未来への旅立ち」「正義の士たちへ」「薔薇十字」「叡智の声に耳をかたむけることができる人々への最後のメッセージ」などと題された4つの文章が入れられており、教団の教義や集団自殺に至った経緯なども綴られていた。
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